非常時こそ試されるとき

私の県で非常時といえば、4年前の地震でした。

ライフラインが断たれた中で、子どもと犬の生活を守りながら働くのは非日常でした。

幸い家に大きな被害がなく、けが人もなかったので、待てば環境が改善していくという先行きが見える非常時でした。

そうでない、たとえば家族を失った人、家や仕事を失った人達にとっては、今でも非日常の延長線上に毎日があるのかもしれません。

 

今、新型コロナウィルスに世界が振り回されています。こんなに一気に蔓延したのは人間社会の進化が原因です。人や物の行き来がグローバルになれば、罹患のスピードは飛行機並みです。今日、東京で罹患した人がNYに飛べば、2週間後にはNYで感染者がでるのは当たり前。そして、行動の多様化。様々な行事やイベントに人が集うというのは、ウィルスにとってはいっきに拡がる好機。人類が勝手に拡散してくれた結果が今です。

 

考えてみれば、人の歴史は自然災害やウィルスとの闘いでした。医療が発達して人は万能になろうかとしています。人生100年時代なんて、医療が発達しすぎて死ねない時代に入ったというほかありません。万物をコントロールできるという妄想、そしてそれが幸福だという思い込みに疑いを持つことが必要ではないでしょうか?

 

非常時にこそ、生き方が問われます。

誰のために、何のために生きるのか。

生きることが何を生み出すのか。

 

ただ漫然と生きることにしがみつかず、できることを探すと非常時は過ごしやすくなるでしょう。

 

4年前の地震の時、自分のため、よりも人のために動くとき、自分の不幸や不安を感じることが減りました。

 

今回も同じことが言えると思います。