三浦春馬さんに思うこと

 自分よりぜんぜん若くて、これからも嘱望されていた人が亡くなるのはショックです。ましてや、突然の自死。なんで?と思わない人はいなかったはず。

 三浦春馬さんは、14歳の母というドラマで初めて見て、それからいろんなドラマや映画で見かける笑顔が印象的な俳優さんでした。年齢的に息子の成長を見てるような気分で、次はどんな役をやるのかなと楽しみにしていました。

 亡くなられた後で、母親との関係性が自殺の原因と取りざたされていますが、一つのことで亡くなる人は少ないと思います。いくつかの挫折、将来への絶望感、心の拠り所のなさ等、いくつかのことが重なって精神的に不安定な時期を乗り越えることができなくて、実行してしまったんでしょうね。

 もし、誰かに死にたいということを発信していたら、結果が変わっていたかもしれないと思ったり。きっと周りに泣き言を言えないタイプだったのかなと思ったり。

 生きづらさを抱えている人の多くが発達障害などのコミュニケーションの課題を抱えているか両親、特に母親との関係性や成育歴の問題を抱えています。

 生活保護や生活困窮の相談でお会いする方の半分くらいが、そのような課題(多くは重複して)を持ってらっしゃいます。親に居場所を作ってもらえなかった人は不安定な人間関係を続ける傾向があります。親になったからといってすべての親がその役割を担えるわけではありません。

 私は結婚せずに子どもを産みました。兄弟をつくる予定もなかったので、私の子どもは家族というセーフティネットが他の子よりやや弱いことが初めからわかってました。そして、発達障害傾向をもっていることもわかりました。

 私はいい母親とは言えませんが、何があっても子どもの味方でいることを覚悟しました。犯罪者になっても子どもをあきらめないことを覚悟しました。そして、私以外に頼れる家族として、祖父母との交流を密にしました。従兄弟とも意識的に交流させました。私が亡くなった後、血のつながりで子どもの支援をしてくれるとしたら年上の従兄弟しかいませんから。ちなみに、子どもの父親とも交流はありますが、残念ながら子どもよりも自分が大事な人なので子どもを託すことはできません。

 もし、育てる力が足りないとおもった親は、他の人や機関をもっと頼っていいと思います。子どもを自分の所有物にしないで、公共の宝と思って託してください。

 親元を離れて育つことで多少の愛着の課題は残るとしても、自分で人間関係を構築していく力は身に着けることができると思います。

 三浦春馬さんのお母さんがどんな人かはしれませんが、お母さんも苦しんだ人かもしれません。愛情がなかったわけではないでしょうが、自分がかわいかった人かもしれません。

 亡くなった方を生き返らせることはできませんが、自死を減らしたいと思います。死にたいと思ったらそれを口に出していいし、それで離れていく人に気を使う必要はないのだと思ってほしい。どうかどこかにつながって生き延びてほしい。

ゴミ屋敷に光が

以前、ゴミ屋敷の住人の話を書いたことがありますが、数か月を経て、お家がかなり片付きました。というか、ゴミの処分ができました。

この方は、元来まじめに働いて方なので、厚生年金の納付がありました。気づけば特別支給分をもらえる年になられてましたが、手続きが遅かったので数か月分さかのぼって支給されることになりました。

これがゴミ屋敷片づけ大作戦の原資になりました。

生活保護を受けている方が年金の遡及分を受領された際は、それまでの生活保護支給分を返還してもらうことになります。原則として控除することは例がないのですが、この方のこれからの生活を考えて、清掃業者に片づけを外注する分を控除して課題解決を図ろうとしたのです。

見積もりをとったら、○十万円!

そこで火が付きました!こんなに払うのはもったいないという気持ちが沸き立ち、自分でどんどんゴミを捨てられるようになりました。

損得勘定は、大きなモチベーションになります。

結果的にはゴミが多少減ったところで、見積もりは人件費がほとんどなので金額に変化はありませんでした。

しかし、自分で主体的に片づけをされたという変化は今後も生活の維持にプラスに働くと思います。

今後は、毎週誰かが訪問して、散らかっていたらゴミ袋に入れてもらう作業を続けていくことを約束しました。町役場、社会福祉協議会、福祉事務所とその方との約束が成立しました。

今後、どのようになっていくのか楽しみです。

新型コロナと生活保護

コロナ禍で生活保護の申請が増えるといわれてますが、正直、地方都市ではそれほど大きな影響はでていません。むしろ、住宅確保給付金の申請が増えてます。

 

住宅確保給付金は、失業した方が次の仕事が見つかるまでに間、家賃が払えなくても住む場所を守るための給付金です。これまでも細々と申請はあっていましたが、コロナ禍で要件が緩和されて申請が増えています。

 

収入が途絶え貯蓄も少なくなると食べるものの心配をしがちですが、食料についてはフードバンクやレスキューなどがあります。生活保護の申請をして開始になれば申請から3週間程度で生活費が給付されます。家賃が払えなくて住むところを失くすと、新たにアパートを借りるにしても十万円単位のお金が必要で、住居が定まらないと生活保護も決定できません。

 

今、収入が無くなった方、借金をする前に、家を失くす前に、社会福祉協議会、役場や役所、福祉事務所のどこでもいいので相談に行ってください。借金ができるとその後の処理が大変です。家を失くすとシェルターとかに入ってもらわないと保護申請の受付ができません。できれば手元の10万円くらいある状態で生活保護の申請をしてもらうのが一番いいと思います。

 

車をもってても生活保護の申請はできます。就活に使うこともできますし、数か月で就職、保護廃止が見込まれる場合は自動車の保有容認の場合もあります。生命保険も少額であれば保有できます。

 

生活保護は厳しい制度と思われがちですが、ケースバイケースで認められることも多いし、使える扶助もいろいろあります。悩んだときはぜひ相談してください。話しているうちに忘れていた預貯金や生命保険が見つかることもあります。失業保険や傷病手当金など様々な制度の情報提供もできます。生活を守るために生活保護をご利用ください。

借金よりも生活保護

生活保護はこれからの生活のためのお金です。だから、これまでに滞納している税金や家賃、スマホ代については生活保護費ではでません。

 

だから、「お金が足りない」となったら借金する前に生活保護の相談に来てください。

 

もし一時的な不足なら、たとえばコロナ禍で給料が減収なんてことなら、生活保護の前に助成金や無利子、低利子の貸し付けもあります。

 

一つ一つ聞いて回るより、福祉事務所に行くといろんな制度の概要を教えてもらえます。なんなら、ケースワーカーがそれぞれの制度の窓口につなぐこともできます。

 

    「仕事があるから平日は行けません」

    「職場に知られるかもしれないので生活保護はいやです」

    「とりあえず銀行のカードローンでしのげます」

といった目先のことで課題は解決できません。

しっかり優先順位を見極めて、生活基盤(安定的に働き暮らせる環境)を立て直すことを考えてください。

 

今、お金が足らなくて困っていることの根っこを見直さないと、負債が負債を呼び込む負の連鎖に陥ります。

 

もし、近い将来、給料が上がる(万円の単位で)、遺産を相続する、副業を始める(体力の範囲で)などの明るい話がない限り、借金はやめてください。

 

生活保護では借金は返せませんが、ホッと一息つく時間は用意できます。

非常時こそ試されるとき

私の県で非常時といえば、4年前の地震でした。

ライフラインが断たれた中で、子どもと犬の生活を守りながら働くのは非日常でした。

幸い家に大きな被害がなく、けが人もなかったので、待てば環境が改善していくという先行きが見える非常時でした。

そうでない、たとえば家族を失った人、家や仕事を失った人達にとっては、今でも非日常の延長線上に毎日があるのかもしれません。

 

今、新型コロナウィルスに世界が振り回されています。こんなに一気に蔓延したのは人間社会の進化が原因です。人や物の行き来がグローバルになれば、罹患のスピードは飛行機並みです。今日、東京で罹患した人がNYに飛べば、2週間後にはNYで感染者がでるのは当たり前。そして、行動の多様化。様々な行事やイベントに人が集うというのは、ウィルスにとってはいっきに拡がる好機。人類が勝手に拡散してくれた結果が今です。

 

考えてみれば、人の歴史は自然災害やウィルスとの闘いでした。医療が発達して人は万能になろうかとしています。人生100年時代なんて、医療が発達しすぎて死ねない時代に入ったというほかありません。万物をコントロールできるという妄想、そしてそれが幸福だという思い込みに疑いを持つことが必要ではないでしょうか?

 

非常時にこそ、生き方が問われます。

誰のために、何のために生きるのか。

生きることが何を生み出すのか。

 

ただ漫然と生きることにしがみつかず、できることを探すと非常時は過ごしやすくなるでしょう。

 

4年前の地震の時、自分のため、よりも人のために動くとき、自分の不幸や不安を感じることが減りました。

 

今回も同じことが言えると思います。

お医者さんの選び方

福祉事務所で仕事をしていると、医療機関と連携して仕事をすることが多くなります。例えば、ある保護受給者の方が緊急搬送されました、とします。家族や友人など近しい方がいらっしゃるときは、入院準備や手続きなどをやってもらえますが、身寄りのない方で在宅の方だと、そういうことを医療機関と町役場と福祉事務所が分担してやっていくことになります。法律で決まっていないこまごまとしたことを進めていくには、関係機関がお互い様の気持ちでやらないと押し付け合いになって嫌な気持ちが残ることになります。だから、一方的なコミュニケーションにならないように気を付けます。

私たちは、医療機関と連絡を取るときに事務の方や相談員、看護師さんとやり取りをしますが、気持ちいい対応をされる医療機関はみんな同じように気持ちいい対応をされ、なんか違和感を感じるなぁってときは、そこの責任者の方やドクターもやっぱり同じように首をかしげることがあります。組織文化なんですね。

先日、「私、○○クリニックの理事長で医者の○○です」と電話をしてこられたドクターがいらっしゃいまして、クレームを頂戴しました。対応した職員が、「理事長で医師の~」て名乗られた方、初めてですと漏らしたが、名前をきいてさもありなんと思いました。

そのドクターは乳がん専門クリニックの先生で、十数年前に私も診てもらったことがありました。今でも覚えてますが、毎回毎回、事務長みたいな初老の女性が、若い事務員さんに、そんないい方しなくていいのにと思うほど、嫁姑関係のような陰湿でくどくどした注意をされていました。待合室で聞いていても不愉快な状況に、なぜドクターは注意をしないんだろうと思ってました。

ある時、2歳の子どもを連れての受診で、5分くらい遅刻した時がありました。遅刻したことは私が悪かったのですが、診察まで1時間半ほど待たされたので、そのことについて、もう少し待ち時間を短くしていただければといったところ、突然烈火のごとく「あなたが遅れたのが悪い」とまくしたてられ、びっくりしました。そして、ピンときました。このドクターにしてあの事務長あり!

私が悪いことについては反論はできませんが、言い方ってありますよね。そしてそれぞれに事情があるのに聞く耳持たないという姿勢を見せられたら、ドン引きです。もうそれ以上かかわらないほうが得策です。

お医者さんは腕のいいに越したことはないですが、気持ちよくコミュニケーションが取れないと、いざというときにトラブルで嫌な思いをしてしまいます。自分自身や家族が医療機関にかかるときは、看護師の姉にきき、ネットで調べ、そして実際にいってみてから決めるようにしています。医療機関は簡単に決めるとあとで痛い目にあうこともあります。そしてお医者さんはピンキリなので、合わないとおもったらがまんしないことです。

よいドクターの出会いは一生を左右します。

私に似た家族の話

「ちょっと話を聞いてもらえますか?女性のシェルターの件なんです。」と保健師さんが連れてこられたのは、私より少し年上と思われる女性。とても疲れた様子で、感情の不安定さが表情や動作に表れてました。

その方は、統合失調症の息子さんと二人暮らしで、息子さんから精神的な攻撃にあっていて、このままでは身体的な暴力が起こりかねないと、家を出ることを考えてらっしゃいました。

話をお伺いすると、ご主人は息子さんが小さいときに家を出ていかれて、その後女手一つで一人っ子の息子さんを育ててこられたそうです。実のご両親が生きてらっしゃったときはいろんな意味で支えになっていたのが、亡くなられてしまった。実のお姉さんも嫁ぎ先のご家族が大変で頼れなくなってしまった。誰にも相談できず行き詰ってしまったようです。

息子さんが不登校になって統合失調症になられたことも自分のせいと言って泣かれました。息子さんも母親のせいだと責められるそうです。

私は家族の関係性について話をする立場になく、また解決策を提案することもできません。ただ、今非常に緊張感が高まっていると思われる家庭で、二人が長い時間一緒にいることはよくないと思いましたので、シェルターで数日やり過ごすこともいいとおもわれること、その間にカウンセリング等を受けて気持ちと考えを整理することはいいのではないかとお伝えしました。

結果的に、今日すぐには動けないとのことだったので、衝突しそうなときは家を出て車で避難すること、警察に連絡できるようにしておくこと、また、息子さんとの対話では、許可をえるような言い方をしないことをお伝えしました。

息子さんに対して責任を感じ、また怒らせないように怒らせないように行動されているこの女性は、息子さんにお伺いを立てる癖がついてましたので、支配関係から少しはなれるようにした方がいいと思いました。

我が家もシングルマザーで一人息子。うちの息子も同じようなことになる可能性はあります。ただし違うのは、息子に対して成人までの生活について私は責任を負うけれども、自分の将来は自分で責任を負うべきと理解していること。息子が自閉傾向であることはだれの責任でもないが、自分で工夫をしていかなければいけないと理解していること。私が母親としてきめ細やかな世話を焼くことはないが最後の最後で絶対守るという覚悟をしていることを息子が確信していること。

これまで、小学校に上がる前から繰り返し二人の関係性、母と息子のそれぞれの特性、考え方を何度も何度も確認しあってきた結果、今のところ息子とはいい関係が続いている、そう思いました。

同じような母子家庭ですが、二人の関係性や課題はそれぞれに違うということ。この女性を鏡にして自分を振り返ることにもなりました。