不機嫌の伝播
昨日から、とある精神疾患にまちがいないと思い込んでらっしゃる保護受給者の方とコミュニケーションがうまくいきません。
ま、昨日からではなく、最初からなんですけど。
その精神疾患はわりとレアな依存症の一つで、県内で治療実績がたくさんあるものではないので、その人がどの程度の症状でどの程度の治療が必要かがわかならいので対応が難しい状況になってます。
普通、精神疾患に限らず不調になればかかりつけ医や身近なお医者さんに行って、そのお医者さんの手に負えない場合は専門医に紹介してもらう、というのが今の受診のパターンですよね。
その方は、自分でこの病気と思って、専門家の意見も聞かずに突き進んで、生活保護でいう「必要最低限」の範囲からはみ出て扶助費で対応できないことになりやすい傾向があります。
生活保護は必要でないことにお金は出せないというグランドルールがありますが、その方は自分で治療が必要と思えば、他人がそう思わないのがおかしいという主張の方です。
かみあいません。
個人的には、その思い込みの疾患より、コミュニケーションがとれないレベルの別の疾患(パーソナリティ障害かな?)の方が治療の必要度は高いと思うのですが、そのような意見を言う間もありません。
今日の不満の一部に、こちらの決定したことに不服があるとおっしゃるので、不服申し立ては〇〇課になりますと説明したら、速攻電話をされたらしく、それを受けた担当者から超~ブチ切れた電話を、これも速攻いただきました。
不機嫌は伝播していきますね。でも、その担当者のブチ切れ加減があまりにもひどかったので、私は逆におかしくなってしまって不機嫌はもわらずにすみました。
よかった、よかった。私が不機嫌を持って帰ったら、息子が犠牲になります。
エアコン貯金
気づけば猛暑も過ぎ、台風一過の秋晴れ。
今年の夏は暑かったですね。
死ぬかと思いました。
エアコンなしには乗り切れないです。
生活保護では、過去の話ですが、エアコンはぜいたく品だから「買うな、使うな」という時代がありました。エアコン自体もぜいたく品でしたが、電気代も相当なものでした。
しかし、技術大国日本では、今やエアコンも5~6万円で設置でき、電気代もかなりエコになってます。
猛暑続きもあって、生活保護世帯でもエアコンは当たり前になりつつあります。しかし、エアコン設置費用は「月々の生活保護費をためて買う」ようになっていて、たとえば「前のアパートにはエアコンが備え付けだったけど、引っ越した先にない」ような場合以外は扶助費がだせません。出せたとしても中古品くらいの額です。
実際、今年は熱中症で倒れる人が多かったと思いますが、私が働く地域でもエアコンのない某町営住宅で、熱中症で亡くなって発見されるということがありました。同じ町営住宅に住む保護受給者の方は、エアコンが壊れてもお金がなくて買い替えができず、社会福祉協議会の貸し付けも1か月くらいかかるということで、大変困った状態になられました(役場と民生委員さんのファインプレーでなんとかなりました)。
そこで考えたのが「エアコン貯金」です。
毎月5千円貯めて、来年の夏にエアコンを買おう!
今あるエアコンが壊れてもすぐに買い替えることができる!
エアコンをかわなくても、5~6万円くらい手元にあると突発的なことがあっても対応できる!
つまり、エアコンをターゲットにしつつ、保護受給者の方の手元に少しお金があるという状態を当たり前にしたいと思いました。
とりあえず、聞いてくれそうな方にアピールしてます。
命をまもるために。
生活にちょっとした安心感を得るために。
お金の使い方がちょっと上手になるように。
一人でも実行してくれれば。
離婚を決意する前に
福祉の制度を利用する方の中に、離婚してシングルマザーとして生きることを決められた方がいます。
福祉の現場で、私たちは相談者のニーズを確認しようとします。自分でニーズが整理できている人はいいのですが、離婚してまもないシングルマザーの中には、エネルギーも生活費も使い果たして、しかし子どもを食べさせていかないといけないという重い責任を独りで背負っている方がいます。不安で心が整理できてない人も多いのではないでしょうか?
その方々にカウンセリングをお勧めすることがあります。私が直接お話するときは、ニーズだけでなくその背景や感情についても話せることは話してもらうようにしています。一度吐き出してしまうことで気持ちが楽になることはもとより、本当に自分が望んでいること、こだわっていることをはっきりさせることができます。
そして、感情的に可能であれば、子どもたちのために別れた夫(子の父)から養育費をもらうことを検討してもらいます。
そもそも離婚するまでにも夫との関係性で疲弊され、一刻も早く離婚したいと願われる方は養育費はいらないと十分に協議せずに離婚されますが、子どもを育てるために、子どもの将来を保証するためにもお金は絶対的に必要です。自分の感情で子どもの将来を狭めてしまわないように、自分自身に必要以上の負荷をかけないように、離婚後でも養育費のことを考えられたらいいのにな、と思うケースは多いのです。
都道府県や中核市以上の男女共同参画センターには女性相談室というのがあります。無料法律相談も受けれますので、一度相談してみてください。離婚にあたってこんなことを考えたり決めたりしたほうがいいですよ、という話も聞けます。福祉の窓口では女性の人権が十分に尊重されているとはいえない対応が多いのですが(残念ながら人権より生命優先らしいです)、男女共同参画センターの相談では指導的発言や人格を否定する発言はありません。ありのままの気持ちを吐き出すことができます。
大きな決断を勢いに任せてしまわれませんように。
そして離婚に至るまで傷ついてきた自分をこれ以上傷つけられませんように。
生活保護は他法優先
生活保護の相談に来られる方にまずお話しするのは、申請の意思があれば申請できますということ、そして生活保護は他のあらゆる制度や援助を尽くしても最低生活費に満たないときに不足分を支給するしくみですということ。
最近、60歳前後の方の相談が増えています。なぜかはわかりませんが増えてます。仕事をしていたがけがや病気で働けなくなったという相談を受けると、まず仕事がらみでもらえるお金がないかということを聞きます。
例えば、退職金、傷病手当金、失業給付など。大企業では求職中も給与の何割かが支払われるところもありますが、中小零細企業では働いた時間に応じた給与支払いになっているところが多いですね。
もし、けがや病気でなにがしかの給付を受けられるのであれば、保護を受けないほうが手元に残るお金が多いというケースもあります。
後々傷病手当金がもらえるようになったら、すでに支給した保護費を返還してもらうこともあります。保護でなければ高額療養費制度で、本人負担分が限度額まで抑えられますが、保護になるとその制度が使えず満額保護費となることも。せっかくもらった手当金を全額返還しなければいけないということもあります。
生活保護以外の方法を提案する際には、どちらが本人にとって利益が大きいかを必ず比較して、保護を受けると不利益になるかもしれないと説明しますが、残念ながら受けさせたくないだけだろうと誤解される場合も。私たちって信用されてないですね。
私たち行政職員は法の執行者ですが、法律どうりにやるのではなく法律の範囲で何がその人にとって最も良い、最も望まれていることなのかを見極めながら現場に落とし込んでいく必要があります。でなければ法と生活の橋渡しはできません。
障害年金をもらうことへの抵抗感に寄り添う
障害年金は、障害が固定あるいは継続している間もらうことができるありがたい年金であり、年金を納めてきた方の権利です。成人する前に障害があると認定されると、成人とともに年金受給の権利が発生します。
福祉の仕事をしていると、障害があっても障害年金がもらえない方がいるケースに遭遇します。いわゆる「要件を満たさない」方です。初診日が年金の未納期間だったりするともらえないわけです。詳しくは年金機構のホームぺージをご覧ください ↓↓↓
https://www.nenkin.go.jp/service/jukyu/shougainenkin/jukyu-yoken/20150514.html
中には、自分に障害があることを認められずに年金請求をされない方もいます。このような方には「もらったほうがいいですよ」という説得は功を奏しません。
よくよくお話を聞くと、幼少期にそれを理由にいじめられたり疎外感を味わったり、自分の存在を否定されてきた歴史があります。子どもは容赦ないですからね。悲しいですがよくある現実です。
そのような方に働きかけ、障害(というか特性)も含め自分を肯定してもらうことも福祉の現場では大事になってきます。
私は、よりよい人生を送るためには、自己理解と自己決定が欠かせないと思ってます。とは言いながら、時間や人員の制約でできることは限られています。だからこそ目の前の一人一人に向き合うことを大切にしていきたいと思ってます。
利用者が引け目を感じずに権利を使うことができてはじめて、私たちは仕事を全うすることができるのではないかと思います。
私たちは制度に精通するだけでなく人の心に寄り添うことも学ばなければいけませんね。
ひとりでがんばりすぎる罪悪
生活保護のケースワーカーは、受給されている方々の要の存在です。
正直、だれが担当するかで将来に影響がでることもあります。
これは、ケースワーカーの能力の違いだけではなく、受給されている方々との相性の違いもあります。
同じ内容のことをお伝えしても伝え方の違いで、相手の受け止め方や理解の仕方は様々です。怒りや疑いで心的ブロックがかかると、よい提案であっても受け入れてもらえないことはあります。残念です。
ケースワーカーだけでなく、支援職がひとりでがんばりすぎると、「その人の能力」×(カケル)「相性による理解度合い」の範囲でしか将来の選択肢が具体化できなくなり、もったいない結果になることも。
人の一生にかかわることだけに、複数の視点で対応することの大切さを日々痛感しています。
私がご担当させていただいた方が、管外に転出(引っ越し)されて、今私は仕事としてかかわりづらくなっています。
いわゆる「普通」の方でも、地縁も知り合いもないところに引っ越せば心細くなりますよね。ましてやいろいろ課題を抱えている方なので、できるだけ、電話だけでもフォローができればと思いつつ、次の担当者の方と信頼関係ができるまで、しばらく時間をかけて引き継げればいいと思ってましたが、その担当者からそれとなくかかわらなくていいとの発言があり、どうしたものやら。
こういう時に行政の限界を感じます。
近いうちに、個人でそういう不安定な、伴走支援が必要な人のフォローができる仕事を立ち上げたいなと思ってます。問題は、それで食べていけるのかということ。模索中です。
DVの背景にある女性側の課題
DV相談を受けることが時々あります。
いろんな男女の関係性があり、一概に良い悪いといえないですが、暴力はダメ、絶対。
DVというと身体的暴力のことがまずイメージされますよね。
生命の危険という側面から、警察が動くのはまず身体的暴力。
でも、一番多いのはモラハラによる支配だと思います。心が死にます。
そして、経済的DVも支配です。身動きが取れなくなります。
私がかかわった相談で思うのは、被害女性側に課題をもっているケースが多いことです。例えば軽度の知的障害、人格障害、発達障害、などなど。
こういう方々は、幼少期から人間関係を築くのが難しく、優しくしてくれる人に過度に依存する傾向があります。また、その障害ゆえに男性をいらだたせたり、支配欲をあおったりすることも。DVが生まれやすい環境を作ってしまいがちです。
さらなる問題は、そういう方々は経済的自立と精神的自立が難しいこと。
DV事案の解決策の最たるものは、男性と別れて生きることですが、加害者であり庇護者ともなっている男性と別れるということは、自分のめんどうを自分で見なければいけないことになります。
もちろん、親兄弟に守られて生きることや、新たな男性との生活もあるでしょうが、同じように依存や対立がトラブルに発展する可能性は高いです。
自立が難しい女性の支援ができるところが、実はものすごく少ない。部分的に支援できるところはありますが、Aという課題についてはA事業所が、Bという課題についてはB市役所が、Cという課題についてはC法人がと縦割りになっていると、その調整を自分自身でしなければいけない、そういうことができないから困っているんだってば!というところが社会的に認知されてません。
高齢者や障がい者(手帳もち)にはケアマネさんがいますが、軽度の社会不適応者にはそういう人がいなくて、困っていることも表面化しないのでニーズがわかりづらいというのが現状です。
完全に自立して生きることが難しくても、だれかが一緒に考えてよりよい選択肢を選べるように、そして少しでも自分の力を発揮して自信をもって生きていくことができるようになる、そんな一歩が歩き出せる支援ができるようにと、日々悪戦苦闘しています。